こんにちは。
くろまめです。
古いもの、趣のあるものが好きな私
興味がない人から見たら
「ゴミみたいなものを買ってる??」となりかねない分野です。
特にコレクターのようなクセはなくて、日常で使う物を大切に扱っています。
また新しく買うことはあまりありません。
着物だとお下がりや中古が多いし、蚤の市のような場所から発掘したものもあります。
本もCDも長く楽しんでいます。
手元にあると、上手く行けば3代で愛用出来るような物もありますよね。
1代限りでいらなくなるような物ってもったいないと思うんです。
多少不便な所があっても愛着を持って大切に受け継いで、直したり工夫して使って行くのがわたしのスタイルです。
それは昔々からの日本にあったやり方なんじゃないかなと思います。
江戸の長屋とかは火事のリスクから、スクラップを前提に作られていたようですが、田園の広がる地域の家はそんなわけもなくてかなり立派ですよね。
器や花器や着物がそこそこある我が家
食卓を彩る物が豊かにあることや、冠婚葬祭にきちんとした格好で行けるのは有り難いことです。
器はお義母さんが好きでたくさん集めていたようです。
新しく買うものは思いつかないです。
豆皿や箸置きも様々にあります。
普段触れるものが創造性や感性を育むと私は見ています。
美術館や展覧会や庭園などを見に行くのも楽しいですが、それとは別に生活の中にも美しいということが大切ですよね。
器にも季節感があります。
模様や色彩には食物をより赤く美味しそうに見せる効果もあり、その工夫はとても興味深いものです。
花器も洗面所におくものと玄関に置くものとまた違いますね。
花材にもよりますし、これも季節感がいりますね。
着物も、また季節を感ずるものです。
私は四季を感じるものが好きなのかもしれません。
マスクも食材も日本産のものを買うように努めています
それがひいては国力を上げて、孫子を守ることに繋がります。
視点を長く持つことが大切だと私達夫婦は考えています。
多少のお金を貯めるよりも、日本や子孫を繁栄させられるように使うことが大切だと思っています。
こういう感覚は夫と出会うまであまり感じなかったことです。
結婚して、家庭を持つ中で学び、世の中をより良くするにはと考えるようになりました。
以前よりも、です。
子供費のかけ方も他とは違う我が家です。
何が何でも国立大学を出したい、とか一欠片も思っていません。
特にきちんと研究したいとか学ぶ気持ちがあるなら学費ではなくて、つきたい教授先生を選ばないとね。
教授と方向性が違う研究はできないことが多いですからね。
特に文系。
そして理系は縦社会なので尚更どの人を師とするか、よくよく考えなくては大変なことになると思います。
つく師を誤れば、人生も誤るというのが夫婦の共通見解です。
就職の踏み台にしたいなら、研究機関に行かなくてもいいやないか!と思うのも夫婦共通認識。
選び方、ものの見方は娘にもよーく教えたいものです。
ちなみに先生を選ぶなどとは失礼な!!!。
選んで頂けるように教えてもらえるように、相手がかえって
「この子はすごいじゃないか」というものがないと相手にしてもらえないのでそのあたりも娘にはちょっと伝えてあります。
お金出せば教えてくれるなんて、そんな考えは残念です。
先生側から教えたいので、とお願いがあるくらいでないと。
それは何か上手いというだけではなくてどちらかと言えば、人として思いやりがあり敬意や礼節をわきまえる人間かということを見られるのだと私は思います。
失敗や、恥の多い人生を少しばかり歩んできました。
まだまだこれからですが、二十代の頃に恩師と出会い人生が、動き出しました。
その気持ちを忘れず、先生の教えを据えながら今でも生活しています。
先生は天に召されてもう15年ほどですが、レッスン生ではなくて内弟子としてとっていただいて指導を受けたことを私は恩義に思い、今日も生きています。
これからも自分らしく、人と比べず。
一日一日の積み重ねを頑張って行きます。