くろまめ雑記帳

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挑戦の秋?、母にも訪れる

こんにちは。

 

くろまめです。

 

最近、色々と挑戦したいことなどが出てきました。

 

娘に触発されたっていうんでしょうかね。

 

久方ぶりにフリック入力ではなくて、キーボードでタイピングしています。

 

理由があります。

 

それはもっともっと文章が上手くなりたいっていう事なんです。

 

それにはフリック入力ではちょっとね、腱鞘炎とか起こしそうですのでキーボードを出してきちゃいました。

 

娘も書字に問題がある感じなんですけど、私も実は漢字がなかなか書けないんです。

 

読むには支障がなくて、書くのが大変。

 

でもそれも20歳を超えてからかなり上達したかなって思います。

 

きっかけはお手紙です。

 

自分の先生にお見舞いのお便りをコンスタントに1年半ほど出し続けたんですよ。

 

そうしたら神様が振り返ってくださったって言うのかな。

 

書けるように突然なったんです、自分の名前とか小4レベルの漢字でずっと精一杯だったんですよ。

 

それが今は疲れるけど書けるんですよ。

 

人間って進歩するんだなって自分のことからも思っています。

 

それを思い起こして、文章って点数化できるスキルじゃないんですけどじぶんのなかで頑張ってみようかなって思いました。

 

後はバイオリンの影響もありますね

 

私はバイオリンを始めて1年半以上経つのですけど幼い頃から辛くて辛くてやっとやっと続けていたピアノがバイオリン練習にも生きていることに気付かされて救われる思いがしました。

 

細かく言うとピアノって弾くときに特に手元って凝視しないんですけどそれでもどの指がなんの音を弾いているかってわかるんですよ。

 

いわゆる

「指に眼がついている」っていう状態なんですけど何となくバイオリンも指で音を押さえると何となくのはずなのにその音がちゃんと出るんですよ。

 

これって誰でも出来るのかなって考えたけど多分違いますよね。

 

ピアノの鍛錬の効果なんですよね。

 

ふとそこで思ったんです。

 

パソコンのキーボード、あれはどうなんだろう。

 

これもやはりそうです。

 

打ちたい文章を適当に指を動かすけど、出てくるんですよ。

 

これってなかなかすごいなあと思いますね。

 

なにがって3歳から13歳までピアノに必死に喰らいついたことがピアノのない生活になって10年以上経っているのに私の能力として残っていること、そこがなんとも不思議ですごい気がします。

 

人間の能力の不思議を感じるんですね。

 

人生で無駄なことはないと言うけど

 

そんなわけないって、私は長年否定的でした。

 

確かに無駄にはなってないけど精神的なダメージとして残っているものを考えたらピアノを肯定したくなかったんだと思います。

 

でも最近は

「苦労は買ってでもしろ」という言葉の深みを感じるようになりました。

 

長い目で人生を見ることが本当に大切なんですよね。

 

だから人よりも苦労したり頑張ることって決して悪いことではないんだなあっってやっと心の底から思えます。

 

苦しいことも辛いこともやり過ごすでもなく必死に喰らいついて挑戦した日々を思い出しました。

 

ピアノの練習に苦労したのに上手くならなくて小学校の先生にいじめのターゲットにされた日々も今は昔。

 

ピアノをしていたから今の私があるんだなと素直に思えることに感謝したいです。