くろまめ雑記帳

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娘なりにがんばっていたのに・・(バイオリン練習)

こんにちは。

 

 

年長さんのママのくろまめです。

 

娘のまめこちゃん6歳にバイオリンを教えています

 

母は学生オケの経験があるだけで、弦楽器は本当にその程度。

 

私の場合、ピアノは10年近く3歳半ごろから習っていましたが、楽器を教えると言うほど音楽に通じているわけではありません。

 

 

娘は三歳九か月から6カ月習って、一度止めたバイオリンを母が教えるという形で再開して4カ月目です。

 

バイオリンの先生には小学校生活が落ち着く小2の夏休みくらいから、いつでも来て下さいとは言われています。

 

自転車で通う事を考えると小3か小4くらいからかな、と思っていますね。

 

 

脱線しましたが、現在は素人の母が教えているというか娘が自分で練習も組み立てています。

 

母の指示は聞かずに、娘は要所要所は私が指摘する程度自分で考えて練習しています。

 

私は楽器のメンテナンスと、独学独習を貫く娘を支えているというその程度です。

 

娘なりに練習のやり方を工夫しながら取り組む曲も自分で決めながらやってきました。

 

先生に習っている子よりはずっと進度は遅いかもしれませんが、自分で考え答えを探しながらがんばるまめこちゃんを私は母としてまた一人の女性としての視点でも素敵だと思ってみています。

 

応援しています。

 

でも時々焦ります、親心って良い事ばかりじゃない。

 

早く先生につければ、もっと上達したかもしれないのにとか。

私が専門の知識を持っていればとか。

色々と思ってしまします。

 

焦りと無いものねだりと、今ある良いところを認めてあげられない母としての未熟さ。

色んな煩悩に悩まされる事が有ります。

 

昨日の自分と比べて一つでも良くなっていればそれでよしとしなければ、師は昔々そう言っていました。

 

その言葉をかみしめています。

 

まめこちゃんがとてもがんばっていたのに、私はおばあちゃんが

「こんな程度なの?」みたいな態度をとってきたことで急に焦り不安定になってしましました。

 

練習の動画を見たがったおばあちゃんに6分程度の動画を見せちゃったんです。

 

私からすれば6分の、頭も体もかなり使う、日常に無い動きを6歳の子が一生懸命にすると言うだけで「かなりがんばっている!」と感じるわけですがそう思わなかったおばあちゃん。

 

駄目出しをして去って行きました。

 

そんなの取り合わず気にしなければ良かったんです、でも私の心が弱かった。

 

もっと練習させるべきなのかもっと頑張らせないといけないのかと悩んでしまいました。

 

一日程度、私は取り乱していつもと違う取り組みを娘に押し付けてしまいました。

 

これは良くないと思いながら。

それはちょっとした事ですが練習時間でないときにバイオリンを触らせようとかそういう感じの事でした。

 

ちょっとした事だけど、娘を信じていないその行いは良くなかったと反省しています。

 

確かに一日に5分とか6分とか、10分未満ですが、娘が率先してやっている事を否定してレールを勝手に作ろうとして最低だったなと思う訳です。

 

上手くなる事は結果として大事なのかもしれませんが、自分で考えて自分の気持ちで取り組む姿って他の子にはなかなか無いすごい所。

 

上手になる以上の価値ある行動で娘の人生にとって大事な部分だったと思うのです。

 

結果ばかり出そうとしていたら、それも早急な事を思うのであれば、なにも成就しないと私は思います。

 

 

娘とは話し合い、私が謝りました。

これは私が悪い。

 

誰が何と言ったってまめこちゃんががんばっていて努力していて、成果としてもちょっとずつバイオリンが弾けるようになっていて、それってすごいしそれだけで本当は褒めて認めてあげないといけないなあと思うんです。

 

他の人が「音が悪い」とか言うのは無視すればいいと思う。

最初から何でも上手なわけないんだから。

 

世阿弥だって習いものの心得としてあまり欠点を指摘し過ぎず子の良い部分に目を向けてそこを見つめてあげるようにと本に書いていましたよね。

 

優しく、見守りたいと思うくろまめです。

 

まめこちゃん、ほんとうにごめんね。