こんにちは。
年長さんママのくろまめです。
私が先日からバイオリンを始めましたが娘には内緒にしていました・・。
上記のエントリもよろしければ読んで下さると分かりやすいのですが娘にもプライドがあるので母が先にマイ楽器を入手してバイオリンを習い始めたのは言うのに勇気がいりました。
怒るかな~この子と思ったのです。
意外と娘は怒らず。
「え!。バイオリン買ったの?。いいな!!!。見せてよ~~!!!」と嬉しそうな娘に安堵する私。
癇癪を起こす年齢は過ぎたようです、良かった^^;。
「レッスンにも行くの??。いいなあ。私も一緒に行くのじゃ駄目なの?。」と言う娘。
この一緒に行くというのは「レッスンを受けたいという意味」ではなくてレッスン風景を見たいという意味です。
私がこども園のある時間に習うから連れて行けないという話をするとかなりむくれて
「じゃあ時間を変更してもらってよ!!!。私も行きたいんだからね!!!」とお怒り。
やっぱり怒られましたぞ・・・。
まあ予想より穏やかな噴火でホッとしました。
土日に楽器を見せてあげると約束し、レッスンには当面連れて行けない事も伝えました。
音楽も絵も踊りも生活の一部だと最近は思うようになった母です
一言でいうとそれって特別な事ではない、です。
意気込んでする事でもない。
ある日突然辞めるとか、続けるとか揉めるものでもないと最近思うんです。
小さい頃って自分で自作の歌を歌ったり。
自作の踊りを何故か大勢で踊ったり。
なんとなく絵を描いては工作もして・・。
芸術とかアートとか色んな呼び方は有るでしょう。
でも、音楽も絵も踊りも創作的な事って人間的っていうか生きている一部なんですよね。
生活の中の事であって
「歩く」
「笑う」
「泣く」
「怒る」
「寝る」
とか。
そう言うものとほとんど変わらないっていうんですかね。
同等だと思うんですよ。
勉強とかもまあそういうものですよね。
読書も辞典を引くのも。
なんでも難しく捉えずに傍らにあるものを大事に楽しく使うっていうか。
そういう柔軟さが人間にはいるかなあって思いますね。
だから途中で楽器を止めても、また弾くときが来るしまあ長いお休みって感じで私もバイオリンの先生も捉えていますね。
娘が弾きたければ弾けばいいよね~と思っているそんな感じです。
分数楽器は家に無いんですけどね・・^^;。
バイオリンは身近な楽器
持ち運べるし、自分で調弦できるし。
意外と調整されている中古品は出回っているので始めるのに「すごくお金がかかる!」と言う代物ではないと思います。
初期投資に数万は掛かるだろうけど。
それって釣りとかキャンプとかフットサルチームに入るとか、そういうのとあまり変わらない費用だと思うのですよ。
イメージがこれだけ先行して敷居が高い物って他にないと思う。
日本は楽器作りのノウハウのある国だし割と量産品の中古の良さそうなものって出回っているんですよね。
毎日を豊かにするのに何十万も掛からないので皆さんも安心して音楽のある生活を検討して見て下さいね。
毎日練習はしていますけど、まあ歯磨きと同じでしないと気持ち悪いなあと言う感じで生活の一部です。
のほほんと楽しむくろまめです。
娘もその内、楽器をするのかな~とか思います。